naranoasuka’s blog

総ての世界に通じる道理に関して追求するブログです

【桜天神社で感じた事】

 キーワードの要石に引かれ、高牟神社、物部神社と訪ねました。今回は桜天神社へ伺う予定はなかったのです。しかし、歓喜天の導きによりお詣りすることになりました。そもそもなぜそうなったのか。

 

 

 以前八百比丘尼についてブログを書きました。

naranoasuka.hatenablog.comn

 大智院(メガネ弘法)は、聖徳太子によって開基された真言宗智山派の寺院で、本尊である聖観世音菩薩と前立の馬頭観世音菩薩も、聖徳太子の御作と伝えられているウィキペディアWikipedia))より抜粋。

 とにかく歓喜天さまなど 神様がいっぱい.祀ってあるのです。私は最も恐ろしい神として有名な歓喜天さままでいらっしゃるとは。とビックリ。ひょっとしたら名古屋市内にも歓喜天を祀っている所があるかも?と思いネットで検索しました。

 

 

 名古屋市内にあったのです。それも名古屋のど真ん中中区錦に『福生院』という大聖歓喜天(お聖天様)をお祀りされている真言宗智山派のお寺でした。その場所を確認しようと地図を見ていたら、なんとすぐ近くに『桜天神社』があったのです。

 

 

 地下鉄を利用するので、『福生院』に行くには『桜天神社』の前を通ります。ついでと言っては申し訳ありませんが、参拝することにしました。話がどんどん長くなってしまいました。最近は総てが繋がっているため、一つを説明しようとすると本来言いたいことまでの道のりがとても長くなるのです。

 

 

 実は『桜天神社』は約20年ほど前に磐座仲間と行ったことがあります。その時に起きた出来事はブログに書いてあります。今回は前回の逆順で来ているのです。以前は『桜天神社』➡『物部神社』でした。

naranoasuka.hatenablog.com

 地下鉄を降りて直ぐの所に参道がありました。20年振りに感じたのは、とにかく狭くて窮屈な閉塞感です。それもそのはず正面両サイドとも高いビルに囲まれているのですから。これではイヤシロチが台無しです。仕方ありませんね、名古屋のど真ん中という事でもあるし。

 

 

 本殿は向かって右側にありました。途中に立て看板があります。

 

 『織田信秀が京都北野より菅原道真公の木像を迎へこの地に遷座し、おまつりした』とあります。ひょっとしたら私は500年前にこの地に立っていたかもしれません。師によると織田信長は信秀の実子ではありませんでした。一応私は信長の妹であったと言われましたが、信長との血のつながりはあったのかどうかは判りません。

 

 

 

 神社の方のお話によると、「昔は大きな桜の木があったそうですよ。信長の父の信秀のお寺ご存じですか?」「大須萬松寺ですか」「そうです。萬松寺は昔この神社内にあったのですよ」と教えて下さいました。

 

 

 

 師は「徳川家が300年も続いたのは、ワシが家康君を指導したからだぞ。今川(今川義元)のおっさんに頼まれてな。」と教えてくれていました。信長は今川義元をとても信頼していました。今川義元は当時ではかなり背が高くて骨格がガッチリしていたようです。信長とはとても仲が良かったそうです。

 

 

 今回萬松寺がキーワードなので、ウィキペディアWikipedia)』で調べてみました。

 

 

 

 ありました。『徳川家康は6歳で証人(人質)として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。』きっと信秀に頼まれて、信長が教育したのだと思います。信秀は信長の類まれなる能力を見抜いていましたから。