南蛮人の保護者であった将軍足利義輝が、三好義継や松永久秀らにより殺されました。フロイスは京都を追放されたのです。
1568年 京都を回復しようと応じたのが織田信長でした。
1569年信長は帰京の許可をフロイスへ与えました。
当時の信長は僧侶が嫌いでした。僧侶が全員そうだったのではありませんが、今でいう飲む打つ買うの三拍子の僧侶が多かったのです。
1569年 日乗上人という日蓮宗僧が、信長がばてれんを庇護することを不快に思い2年にわたって反対運動を展開していました。信長の定宿である妙覚寺で日乗とフロイス及びロレンソは信長の面前で2時間に渡り宗論を戦わせたのです。
日乗は霊魂の不滅などとは妄想にすぎぬと「汝の弟子ロレンソを殺すから、汝の申す霊魂を提示されよ!」と叫んで抜刀し秀吉をはじめ列席していたものは、日乗をさしおさえたのです。
信長は「日乗、貴様のなせるは悪行なり。仏僧がなすべきは武器を執ることに非ず、根拠を挙げて教法を弁護することではないか」と言ったといいます。そういったこともあり、信長は僧侶に対して激怒したのでした。普段の信長は優しく慈愛に満ちて思いやりがあります。但し一度火が付くと歯止めが利かないのです。今でいう自分でオモチャを作っていたのに、思い通りに作れないとせっかく作ったオモチャを壊してしまうという癇癪持ちだったのです。
ルイス・フロイスは、信長は14年間、勝利と実力と覇権を掌握して「日本王国」の絶対的君主の地位を保持した。天下は信長の善政のため平穏であった」と記しています。
話は飛んで、細川ガラシャ夫人の事です。ルイス・フロイスは亡くなった以後のお話です。他の宣教師が細川ガラシャについて記録を送っていたのです。その報告を基にドラマが出来ました。ウィーンでイエズス会の細川ガラシャのオペラが上演されたのです。マリーアントワネットも見ていたようです。
マリーアントワネットは細川ガラシャのオペラを見て、細川ガラシャの凛とした生き方に私は感動したと手紙を書いているのが残っているらしいです。日本では徳川綱吉の時代だそうです。
今に至る歴史の記録については、真実かどうかの判断基準はありません。なぜなら総ては過去の話だからです。でも自分にとって心に染み入る話や、腑に落ちる話は、きっとその人にとり必要で成長を促す効果があると思います。現に私自身がそうなのですから。