私は今から14年ほど前に、薬草を詳しく知りたくて岐阜県にある、春日モリモリ村薬草教室に数回参加した事があります。
薬草についての講義は、岐阜県薬科大学の名誉教授の水野瑞夫先生でした。先生の講義の中で、先生は「人生で凄く嬉しかったのは、正倉院の蘭奢待の調査に参加できたこと」「明治天皇や織田信長、足利義政が削り取った後を見た時、まさに自分がこの場所にいるということでとても感動しました」というように語っていたのです。
私にとってその話は印象深かったです。なんせ織田信長。の名前が出てきたのですから。信長と正倉院の蘭奢待と結びつかなかったのです。
話は少し変わります。私に香道についてのうんちくを教えてくれたのは師でした。
私は師に「以前薬草教室に参加した時、薬草の先生は正倉院の蘭奢待を直接調査の為に見れたと言ってそれが人生で一番の幸せだったと言ってたよ」と話したのです。
師は「あっ、オレ、蘭奢待削ったで! オレの他に足利なんとかいうヤツの名前が書いてあったな」「えっ!? 正倉院の蘭奢待って国宝級のモノだけど、削ったんですか?」「お前にも当時、焚いて香りを鑑賞させてやったがのう、覚えておらぬのか」
「・・・」
私は師の話を聞いて、やはり師は織田信長だったに違いないと確信しました。
師は人間の体を所有しているため、過去の記憶を全て引き出せる訳ではあり
ません。やはり限界があるみたいですね。
いろいろ知りたいことは山ほどありましたが、私の成長に関係ない事は、何も教えて頂けないのです。信長時代に私は信長の妹として存在していたらしいのですが・・・私に関しての事だけは教えてくれました。
今でもお香を焚くことは好きです。いつの時代でも人は根本的な性格は変わらないのでしょう。蘭奢待がきっかけで確信を得ることができたのです。
追伸:現在残されている信長の絵は、本当の信長の顔ではありません。あの絵は優しいまなざしで女ぽいですよね。信長は自画像や自分の存在痕などは跡形もなく消しております。そういう存在なので、本能寺の変は永久に謎なんです。
信長は本能寺で亡くなっておりません。信長は明智光秀をとても信頼していました。夏目漱石と正岡子規のような親友関係です。
光秀は最も信長を理解していた存在でした。信長は「お前は一生裏切り者になるぞそれでもよいのか」と何度も聞いたそうです。光秀は「それでもかまいません」と答えたと師は教えてくれました。賢い光秀は信長を自由にさせるべく「本能寺の変」の計画を立てたのでした。「本能寺の変」以後も二人の信頼関係は続いたのです。