naranoasuka’s blog

総ての世界に通じる道理に関して追求するブログです

【看護師になった理由】

  私は離婚後神戸から実家に出戻りました。裁判所離婚のため、調停員が中に入りお互いの話を聞いてくれるのです。私も夫側も子供を引き取りたいと願い出ていました。調停員は二人の話を聞いて感心したのです。

 

 

 「離婚する夫婦は子供の引き取りを嫌がり、それでこじれることが多いのです。でもあなた達の場合は珍しいケースですね。お互いが子供を引き取りたがるなんて。子供さんは幸せですね」と言われたのです。手に職もなく仕事を持たない私は子供を引き取るのはかなり厳しい状態でした。調停員は必ずや手に職を付けて子供を育てますという私を信じてくれたのです。それから子供を引き取り無事に実家に出戻ったのでした。

 

 

 親の反対を押し切って結婚して、父の「ダメだったら帰っていいぞ」という言葉に励まされ、勝手に離婚した私でした。もろ親不孝者の私でした。そのため何とか父を安心させたいという一心で子育てしながら3年間看護学校に通ったのです。その当時の私の平均睡眠時間は4時間ぐらいでした。あの頃はまだ30代だったので、疲れを知らないぐらい元気でした。

 

 

 私の人生で最も楽しく充実していた3年間でもありました。看護学校生活の毎日が、知らない事を知る喜びを味わえる幸せな日々でした。看護師となり自宅近くの市民病院に入職できました。それから1年後に父は他界したのです。看護学校の卒業式に私は答辞を読みました。私の晴れの姿を父はとても嬉しそうにみて微笑んでいました。

 

 

 

 私には何度も試練が訪れています。結婚後最初に東京に住んだのです。東京の水が合わなかったのか私は体を壊し吐血し胃潰瘍になり、胃カメラを行うも施行できず苦しみました。何とか健康を取り戻しその後妊娠したのです。けれども原因不明の肝機能障害で4か月入院しました。まあ波乱万丈の人生です。

 

 

 それでも何とか乗り越えてきたのです。今思えばそういう試練は総て私に必要だったのです。普通の何も問題がない人生ならば、苦行のエキスパートの師匠に会う事はなかったのです。後になり私が師匠と出会うには、ある程度の苦行を経験しないと会えなかったのだと解りました。師匠と出会えるように亡き父があの世で骨を折ってくれたのです(肉体がないから骨は折れないか)