2022-05-05 【看護の日を前に思う事】 医療・看護 現代の看護教育の母と呼ばれるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日は、看護の日に制定されています。ナイチンゲールは上流階級に生まれています。彼女は内なる声を聴いたのです。『このままでよいのか』『一生を人の役に立ちたい』と。その心からの強い思いを彼女はあきらめなかったのです。 彼女は現場(クリミア戦争)経験はわずか3年間だけでした。 しかし彼女は戦死者・疾病者に関する膨大なデータを分析しました。彼らの多くが戦闘で受けた傷そのものではなく、傷を負った後の治療や病院の衛生状態が十分ではないことが原因で死亡したことを明らかにしました。 素晴らしい功績です。戦闘で受けた傷ではなく他の原因で死亡したことを明らかにしたのですから。彼女は病室の改善にも努めました。ナースコール・白壁・清潔の床・カーテンなどはナイチンゲールの発案です。 私も一応ナースの端くれです。話は変わりますが、私はナイチンゲールはもちろんマザーテレサも尊敬しております。そのマザーテレサとナイチンゲールには共通点があったのです。それは二人共に『神の声』を聞いていることです。 以前私はマザーテレサのドキュメンタリー映画を観ました。その映画の制作者は千葉監督という方です。マザーテレサは、信仰の篤い家庭で育ちました。彼女の母親は、今で言うところのボランティアでマザーテレサを連れて、貧しい家庭の人々を助けていたのです。そんな母親の姿を見て育ったマザーテレサは、修道女になりました。 ある時マザーテレサは「世界で、最も貧しい人々のところへ行き、神に仕えるように、その人々に仕えなさい」という神の声を聞いたそうです。彼女は、世界最悪の居住地帯といわれるインド、カルカッタのスラムに行くことを決意しました。 マザーテレサは、カルカッタで、「死を待つ人のホーム」を創り、道端で瀕死の状態の人を、ホームまで運び、最期を看取ったのです。 私にとって、衝撃だったのは、マザーテレサや、マザーの周りに集まっている、若くて美しいシスター達の、清清しさでした。私はお金をいただき、看護師をやっています。しかし映画の中の彼女達は、金銭どころか、自分の所有物はほとんどありません。 彼女達の持ち物と言ったら、数枚の着替えのサリーぐらいなものでしょうか… 映画が終わり、千葉監督の話が始まりました。千葉監督は、このドキュメンタリー映画を製作する時の、エピソードなどを話してくださったのです。 時々監督は、マザーテレサを語る時、声を詰まらせていました。監督自身、マザーテレサの生き方に対し、涙なしには語れなかったに違いありません。監督の涙に誘われ会場はすすり泣きの声で包まれていました。全員といっていいほど会場の人々は、泣いていました。 私は二人を比べて、マザーテレサとナイチンゲールは、ひょっとしたら同じ魂なのではないかと思ったのです。なぜなら、ナイチンゲールは病弱で体が弱く人生のほとんどをベッドで過ごしています。そのため現場を3年間しか経験していません。もっと現場で働きたかったのでしょう。 きっと次に生まれ変わったら、看護の現場で働きたいと思ったのではないでしょうか(私の主観です) ナイチンゲールが亡くなったのは、1910年8月13日です。マザーテレサの誕生日は1910年8月26日です。お二人共に神の声を聞いております。神は心から望めば、この地球上でもしやり残した事があるのであれば、願いを聞き届けて下さると私は思います。私の大きな独り言でした。